「米百俵まつり」に思うこと

10月5日(土)「第18回米百俵まつり」が開催されました。市役所の担当課、長岡商工会議所、長岡観光コンベンション協会と商店街組合、民間の団体、個人ボランティアが実行委員会を組織して運営に当たっています。共通のミッションは、『人材育成』。共通のビジョンをめざして、それぞれの持ち味を発揮し協働で運営しています。この祭りの前身は、8月2日に行なわれていた長岡まつりでの「武者行列」。長岡に無かった秋のお祭りを「武者行列」を柱に企画が始まった頃、当時の小泉総理が所信表明に「米百俵」の故事を引用したことからブームが起こり、由来の地である長岡でこの「米百俵」を冠した秋祭りが生まれました。戊辰戦争で敗れた長岡藩の困窮を視かねて、支藩三根山藩から米百俵が送られましたが、藩の大参事小林虎三郎が先を見据え、これを売却し国漢学校の資金としました。この故事が、山本有三の戯曲『米百俵』として書き下ろされました。その後、日本人よりも日本の心を持った人と言われた、故ドナルド・キーン氏により英訳され、世界にも知れ渡ることになりました。小林虎三郎の台詞、「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある」。「米百俵まつり」はこの精神を伝えて行くものです。日本の「まつり」は、民俗学で言う「ハレとケ」のサイクルで説明されます。「ハレ」は「晴れの日」「晴れ着」などと表すように非日常。「ケ」は普通の日常を意味し、日常生活を続ける中でエネルギーは枯渇していきます(ケガレ)。「ハレ」を体験することで「ケ」が回復し生きていることを実感。そして、次の「ハレ」=「まつり」にわくわくする。「まつり」と聞くと、誰もがそわそわわくわくする理由がコレだったんですね。一日だけの長岡藩士となり衣装を着て街中を行進し、着替え場所に帰って来た中学生が満面の笑みと大きな声で「あー、楽しかった!」。非日常を体験した子ども達の体には、充実した日常へ向けての力が注入されたようです。そして私たちのミッションはエッセンスとして加わっているはずです。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 副代表理事
  「米百俵まつり」副実行委員長
  渡辺美子

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