日本人だって異文化だ

アメリカ留学中、私は寮に住んでいました。各部屋に洗濯機や乾燥機はなく、白くて大きな洗濯機と乾燥機がずらっと並んだランドリールームで洗濯をしていました。ある日、洗濯をしにランドリールームに行ったときのこと。洗濯機に洗濯物を詰め終え、部屋に帰ろうとすると、ランドリールームの前のロビーに女の子が一人座っていました。話を聞いてみると、サウジアラビアから来たそうで、妹の洗濯が終わるのを待っているとのこと。洗濯が終わった頃、洗濯物を乾燥機に移そうとランドリールームへ向かうと、ロビーにはまた同じ女の子が。部屋に戻らないのか聞くと、乾燥が終わるまで戻る気はないそうで、結局ずっとロビーにいたそうです。洗濯から乾燥にかかる時間はだいたい1時間半ぐらい。ほとんどの学生は洗濯機や乾燥機に洗濯物を入れたら、終わるまで自分の部屋で待つことが多い中、「えっ⁉1時間半ずっとここにいるの⁉しかも、妹の洗濯物!」と不思議に思ったことを覚えています。しかし、「(真偽のほどはさておき)あ、サウジアラビアってこんな感じなのか!」と妙に納得した自分がいたのです。

「外国人は自分と違う文化や考え方をもっていて当然」という考えが根底にあるから納得したのだと思いますが、裏を返せば、「同じ国出身なのだから、自分に近い文化や考え方をもっていて当然」という期待があるということ。しかし、協働センターで働き始めてから約半年、この考え方が大きく揺らいでいます。協働センターに来てから、色々な人に会いました。意外な共通点に喜ぶこともあれば、お互い頭の上に「?」が浮かんでしまうほどの相違点に驚くこともあります。そんなとき、いつも思うのです。「あ~、日本人だって異文化なんだ」と。「文化」という言葉を辞書で引くと、ここに書ききれないほど長く難しい説明が出てくるのですが、簡単に言ってしまえば、「自分が当たり前だと思っていることの集合体」ではないかと思っています。同じ国で生まれ育ったとしても、違う環境で、違う人に育てられ、違うものを見て、違うものを聞いて、違うものに触れて、違うものを食べてきたのだから、違う「当たり前」を持っていて当然。同じであることに期待するよりも、違うことを前提とする方が楽だと気づきました。時間に正確な人もいれば、そうでない人もいます。せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。自分の意見を言うことを大切にする人もいれば、その場にいる人の気持ちを大切にする人もいます。「あなたと私は違う人間。でも、同じ目的をもって活動しようとしている。さて、この違いにどう向き合っていこうか?」そんな姿勢で臨めたら、ほんの少し協働が進みやすくなるんじゃないか。自分も、そんな姿勢を示せる人でありたい。協働センター1年生、半年間でそんなことを思いました。
文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 事務局
  須貝友紀

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